UECポケモンだいすきクラブ

電気通信大学公認サークル「UECポケモンだいすきクラブ」です。 ゲーム対戦はもちろん、カードゲームやお絵かき活動などポケモンに関わる様々なことをしています。

【ブログリレー20日目】〖実体験〗閉鎖空間にポケモンがあったら?

僕の体験したポケモンというゲームの凄さについて語ります。

 

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この記事はUECポケモンだいすきクラブ10周年カウントダウンブログリレー20日目の記事です。

uecpokemon.hatenablog.jp

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どうも、こんにちは。19のタックです。
UECポケでは19世代の代表を務めていたものです。

 

突然ですが、みなさんポケモンはお好きですか?このブログを読んでいるということはきっと好きなのでしょう。勿論僕も大好きです。今回はそんなポケモンの凄さ、そして恐ろしさを、自分の高校時代の実体験をもとに綴りたいと思います。ほとんど自分語りや武勇伝のようなものなので有益な情報なんてないかもしれませんがご容赦を、、、

 

 

 

 

1,はじめに

 本題を話す前に少々前語りを。

 今回サークル内でブログリレーの話を受けたときに、是非後輩たちの力になりたいと参加を名乗り出ました。しかし自分に語れるものを探したら…

 

ダブルバトルのすゝめ】→一番需要があり、書きやすいけれどほぼエンジョイ勢の自分が書くことなんて必要なさそうだし、もっと適任がいるはず

【推しポケの布教】→実は推しポケがめちゃめちゃブレる人なのでそこまで愛が語れない

スマブラオフの参加や観戦のいろは】→これに関してはポケサー関係ないので却下

 

というように自分に書けるテーマが見当たらなくて非常に混迷しました。こんなに自分が中途半端な人間だったとは…

 そんな中でも必死に自分だからこそ語れることを探した結果、それは自分の高校生活ではないか?という結論に辿り着きました。詳しくは後述しますが、僕の通っていた中高はなかなか独特な学校でして、他の学校だと起こりえないエピソードを数多く経験してきた自負があります。その中でも特にポケモンに関連したエピソードをいくつか紹介したいなと思います。こんな世界もあるんだなぁ、と思う程度で軽く読み進めてください。

(写真を載せすぎると特定されそうなので少なめですがご容赦を)

 

 

 

2,閉鎖空間にポケモンがあったら?

PROLOGUE

 さて本題に入りますが、僕はなかなかにロックな学校に通っていました。詳しく書くと特定されてしまいそうなので簡単にまとめると

 

・九州のド田舎に作られた各学年少人数の中高一貫校(つまり6年制)

・男女別の寮生活でゲームやスマホといった電子機器は持込禁止(田舎に作られたのは外界との遮断+自然と触れ合うためだそう)

・朝夜に点呼があり、学習や掃除時間をはじめとして、食事、風呂、就寝時間も設定し、先生が見回りもする

・先輩が怒るときは大体理不尽

 

といった感じで、条件だけを聞くと刑務所と勘違いするような学校でした。今回のタイトルになっている閉鎖空間とはまさしくこの学校の寮のことを指しています。(勿論ですが県内の犯罪者がそこに入れられているわけではなく、自立心を鍛える進学校みたいな肩書で県内でも知られており、中学受験の倍率もまあまあ高い)

 と言いつつも、そんな学校でも楽しい思い出はたくさんありますし、(物理的にも)同じ釜の飯を食う同級生たちとも仲良く過ごしていました。

 

学校近くの風景、学校の周りはどこみても大体こんな感じ

 

 とはいえ、自分は小学生の頃から生粋のゲーマー、家から帰ったら常にゲーム機を持っていた自分にとってはこの電子機器の持込禁止というのは非常にストレスでした。中学生の頃は寮から実家に帰省してはずっと3DSを遊び、その頃流行していたパズドラやモンストにもガッツリはまっていました。その頃だとポケモンXYORASにあたりますが、それらもストーリーやバトルハウスをやり込むために家に帰っていました。

 しかし、高校生になると生活にも慣れ、時間の制限が緩くなるためある程度余裕が出てきます。ゲームのない毎日にフラストレーションが溜まっていた自分は「ゲームがある方が息抜きできて学力向上にも効果的」と意味の分からない理論武装のもと、3DSを無断で寮に持ち込むようになりました。毎晩深夜、先生の見回りが過ぎたころに布団の中からゲームの光が漏れないようにもぐりこみ遊んでいたのを覚えています。今思うと高校生が何やってんだ、と思うのですがバレないようにするにはこれぐらいする必要があり、自分にとってもこの時間が至福の一時でした。

 

 

EPISODE1 決壊と増殖

 3DSと共に歩んだ学生生活も6年目(高校3年生)に入り、1人部屋になってからの自分はポケモンに勤しんでいました。自分で言うのはなんですが、6年になっても学力の方にはさして影響はなく、もしかしたら僕の理論武装もあながち間違ってはなかったのかもしれません。

 さて、ここでこの学校のシステムの1つを紹介するのですが、寮生は全員何かしらの委員会に所属し、その分野に関して寮の自治を行うことになります。例えば自分は学習委員会に所属し学習時間の多様化に努めて云々かんぬん…という感じなのですが、その中には持込禁止品について取り締まる生活安全委員会(通称:生安)なる組織が存在しました。彼らが活発に活動を始めると、僕のような違反者は非常に肩身の狭い状況に置かれることになります。とはいえ、彼らは仕事の一環として行っているに過ぎないので常に険悪というわけではなく、お互いの部屋で遊ぶ程度には仲が良かったです。

 

 しかし事件は起きました。自分は勉強が終わり部屋に帰り、さあ寝ようと電気を消した後です。いつものブツの置き場を探すと、それがなくなっていたのです。隠し場所を変えた?いやいやそんなわけない。先生に見つかった?いや帰り際先生とはすれ違ってないから来てないはず…と思考を巡らせていると、突然懐中電灯を持った何者かが部屋に入ってきました。そう生安です。彼らの一人がなんとなく僕のいない間に僕の部屋に遊びに来て、偶然3DSを見つけてしまうというトンデモファインプレー(?) によって見つかってしまったのです。

 

件の3DS 色々な意味で最も思い出深いハードかも

 

 彼らは僕の3DSを持って、自分を責めました。そりゃそうです。彼らからしたら隣にいた人間がルールを違反していたのですから。その上僕らは6年生、この寮の最高学年としてお手本となる立振舞いが求められているのに、なんだこの有様は!と。僕は覚悟を決めました。こんなことになるのは持ち込んだ時から承知の上、今まで隠し通せていたのがおかしいのだと。しかし、僕はこの時、ポケモンという熱病に侵されていたのです。そんな人間がまともに反省するはずもなく、正座をしながら

「俺は悪いと思っている。先生に伝わり謹慎処分になってもいい。でもその3DSを手放すつもりは毛頭ない」

という支離滅裂な発言を始めました。これには生安も驚愕。今までは禁止品を回収し、怒れば終わりだったのに、事情聴取したら開き直られたのですから。彼らは僕をさらに責め立てますが僕も3DSを諦めることはなく、ゴミみたいな聴取は深夜3時にまで及び、その結果生安側が諦め、3DSは僕の元に秘匿されることとなりました。僕は冷や汗でビチョビチョになった服を着替え、安堵のまま眠りにつきました。結果として生安にとって最悪の結末で終わったように見える事件ですが、これには続きがあるのです。

 

 再度の記述になりますが僕らは6年生、もうすぐ受験です。部活同様、寮の委員会活動は夏ごろを目安に世代交代が行われ、6年生は委員会とは離れた生活を送るようになります。この交代の時期が先程の事件の1週間後のお話でした。そしてその1週間後、6年生の各部屋はとんでもないことになっていました。いたるところに3DSPSVitaスマホが散らばり、寮則全スルーの魔境と化していました。その中には元生安の面々も。何故こうなったかといえば、今までは生安という内側からの縛りがあり、生安も万が一自分達ではなく先生に禁止品が見つかろうものなら自分達の責任になるため寮則が機能していました。しかし、委員会が消えた今、学年全員が共犯者となり先生に対してのみ警戒を敷けば、簡単に黄金卿を作ることができたのです。そう、僕が見逃されたのは、あと2週間だったら隠し通せるという生安の魂胆だったのでしょう。僕はその一連の実情を知り、「じゃあなんであの深夜4時間も正座させられたの?」という誰にも言えない怒りを押し込みつつ、日常に戻るのでした。

 

 このエピソードを読んで「あんまポケモン関係なくない?」と思ったそこのあなた。確かにここまではただ僕の開き直りと怒りを綴っただけです。しかし、この3DSがこの学年に爆発的に普及したという点が次の話でつながるのです。

 

 

EPISODE2 ポケモンの侵略

 6年生の夏、一般的には部活が終わり受験に向けてギアを一気に上げはじめる時期にあたります。ゲームなんてもってのほか、志望校に向けて勉学のスイッチを入れる時期ですが、僕らは3DSのスイッチが付きっぱなしの生活を送っていました。勿論勉強をしなかったわけではありませんが明らかに緊張感がありませんでした。

 これには実はうちの校風ならではの理由がありまして、この学校は一応進学校を名乗ってはいるものの進路先は結構様々で、文理混合は勿論、地方国公立や私大に専門、AOや指定校推薦、就職など多岐に及びます。(自分のように大学のために上京する人は極少数でした。)そうなると、人によっては早くに受験が終わる人や勉強しなくてもどうとでもなる人などが同じ寮に住むわけで、そんな環境にて学年皆で緊張感を持つことなど到底無理だったのです。

 

 というわけで、ゲームだらけの高3生活を送っていたのですが、ここで多くの男子が興味を示したゲームがありました。そう、ポケモンです。

 皆さんの中に大学生になってからポケモンに復帰した人はいますか?「今のポケモンはどうなっているんだろう」「俺の好きなあのポケモンはまだいるのか」と懐かしさと新しさを求めて再開した人もいると思います。それが少し早まったと思ってください。(本当は早まってはいけないのですが…)

 元々僕がずっとやっていたこともあり、僕をトリガーとしてポケモンが学年内に一気に普及しました。皆帰省した時にこっそりポケモン(このころはUSUMにあたりますが、XYやORASから始める猛者もいました)を買い、夜な夜なストーリーから厳選、努力値振りに多大な時間をかけるようになりました、まるで伝染病ですね。

 まあ、冬前になると流石に落ち着いてきて各個人で息抜きに遊ぶ程度に収まるのですが、ここからはその数か月の間におきたいくつかのエピソードを話したいと思います。

 

 先述の通り僕らには大量のゲーム機を持ち込んで遊びまくっていましたがそんな僕らには決定的に足りないものがありました。そう、ネットです。そもそも契約してルーターを置いたりする必要がある以上、学生が準備するのは困難であり、学校でパソコンが使える時間も限られていた以上、ポケモン種族値や育成などの情報を得る経路が絶たれていました。そこで我々は公式の攻略本を使うことにしました。現代のネット社会、攻略本やデータブックは極論ポケ徹等で事足りており、半分コレクション用として用いられていましたが、ネットがないド田舎の陸の孤島にとってはまさに聖典でした。こっそりと本屋で注文し、届いてすぐ多くの者に回し読みされた結果一瞬でボロボロになりました。

 

USUMのデータブックの現在の姿 攻略本の方はは跡形もなくなっていました

 

とまあ、情報源をアナログに頼っていた僕らですが、それ故の問題が起きます。学年内でデマが流れ始めるのです。別にデマを流したくて流しているのではなく、誰かの仮説に尾ひれがついて人をだませる情報になってしまいます。普通ならネットで真偽を調べれば…といったところですが生憎我らにそんなものはなく、攻略本に載ってない以上試してみるしかない、となってしまいます。その結果、USUMの島スキャンで出てくる御三家ポケモンの中には超低確率で夢特性が出現すると信じたやつは何日もかけてボックスが満杯になるまでツタージャを捕まえることとなったり(ネットがつながらないのでポケモンバンクが使えなかった以上、1日かけて全員逃がしたとか)、ウルトラワープライドの最奥には色違い確定の伝説ポケモンが鎮座していると信じたやつは、何日もかけてワープライドの攻略に挑むも撃沈し、挙句の果てに王冠で上げた個体値は遺伝できると考えたやつはメタモンに金の王冠使ったりと、まるで小学生の噂かよって思うようなミスだらけです。

 

 また、対戦をガチでやり込もうとする人もいました。とはいってもネットがないので身内戦やバトル施設になりますが。毒羽メガチルタリス陰キャするやつもいればエーフィバトンからバンギにつなげて無双、中にはポケモンに先輩(OB、OG)の名前を付けて戦わせているやつもいました。(すみませんでした…)ガチポケモンだけれども環境とはまた一味違うこの学校独自の対戦環境が広がっていました。まあ閉鎖環境でしたから。

 

 そんなある日、この黄金卿に危機が迫ります。外部からの摘発があったのです。もう生安はいない、先生には細心の注意を払っていた、では誰から?そう親からです。この寮に持ち込むために2DSを新しく買った生徒が数人いたのですが、その中の一人の親が2DSを買ったレシートを見つけ出し、寮に鬼電をかけたのです。また、それを聞いた別の親が不意打ちでその子の寮の部屋に押しかけ、部屋を掃除した結果3DSを見つけてしまい大惨事になってしまいました。これを引き金に大検挙祭りが勃発、このときゲーム機所持者は男子の半分を超えていたこともあり、さらなる検挙者も続出しました。こうなるとこの連絡は学年の先生や親にもいきわたり、ついに自分にも親から電話がかかってきました。

 

内容は勿論「家にあんたの3DSがないんだけど寮に持ち込んでる?」と。

 

僕は薄々こうなるだろうと思いつつ、とはいえどうしようもないので「間違えてバックに入ってた」だの「大事にしたくないからずっと隠してた」だの3秒でバレるような弁明をかましました。

しかし、うちの母親は「それなら仕方ない、最近親の間で注意喚起があったから、ちゃんと次の帰省のときに持って帰るんだよ~」とスルーしてくれました。

これは卒業してからわかったことなのですが、この時母親は僕が3DSで遊んでいることになんとなく気が付いていたみたいです。しかし、僕の性格や成績が下がっているわけじゃないのを加味して、黙っておくのが正解という判断を下してくれたみたいです。マジ感謝

 

 この検挙祭りを受けて学年全体のゲーム機総数は一気に減り、このまま収束…とはいかないのがゲーマー根性。また親の目を盗んで買ってくる奴や、警戒されてない友人に買わせてくることで検挙祭りから一ヶ月足らずで黄金卿は復活。その後受験ガチモードに入るまで続くこととなりました…

 

 

EPILOGUE

 このような狂った生活をしていた6年生も冬になり受験ガチモードに。既に受験が終わっているやつらは遊び惚けていましたが、自分を含め一般受験組はセンターや2次に向けゲームをする時間は減っていきました。が、息抜きは必要です。深夜の勉強中にこっそり遊んでは赤本に戻り、また育成しては…という生活になりました。他にも友人がXYをやったことがないというので、一日1時間程度2人でYのストーリーを進め、あの感動シーンを熱弁したこともありました。

 また、この閉鎖空間で流行ったのはポケモンだけではありませんでした。全員がスマブラの持ちキャラを持つようになり、逆に自分はここではじめてモンハン沼に落ちることになりました。

 卒業直前では、僕が大阪で受験した帰りにこっそり買ったswitchを寮に持ち込み、スマブラSP無限対戦編が始まりました。持ち込んだその日のうちにキャラクターは全開放され、4日半で起動時間100時間を超えるという偉業を成しました。ちなみにどうやら僕が初めて寮にswitchを持ち込んだ人間だったようです。なんともいらない称号。

 現在、自分たちはこのクレイジーな学校を卒業し各々の道を歩んでいますが、久しぶりに話すと6年時代の思い出が大量に湧き出てきます。中にはこの頃の影響で色違い厳選中になった人や、プラチナ等過去作を買い集め始めた人、スマブラのオフ大会に出るようになった人もいます。僕もモンハンの新作をやり込み、HR400を超える暇人ハンターになりました。

 この頃の体験は良くも悪くも僕らに非常に大きな影響を与えました。受験の結果に関しては人によって良し悪しがあったので何とも言えませんが、大学生になった今でも雑談しながら一緒にゲームできる友人ができたのは非常に幸運だったと感じています。まあ至る所に迷惑をかけまくったのは事実ですが…

 

 

 

3,終わりに

 長々と語ってしまい本当にごめんなさい。語りたいことが多すぎて…

 これをしっかり読んでくださった皆様は「高3が何やってんだ…」と思うかもしれませんが、これはゲーム関係の一例にすぎません。この学校でのエピソードはもっとぶっ飛んだものがたくさんあります。例を挙げると

正露丸+エアサロンパスによる催涙テロ

・サッカーW杯のラジオでテンション上がりすぎて先生に鹿と間違われる

・部屋がチョコまみれになる

等々

 今思うとかなり幼稚に見えますが、男子高校生なんてこんなもんです。クレイジーな学校に集まるやつらは必然的にクレイジーだったにすぎません。

 

 当初の話に戻りますが、閉鎖空間にポケモンがあったらどうなるか。結論としては

  1. 何者かがポケモンを持ち込む。
  2. ハードの普及とともに爆発的に流行る。
  3. 真偽を問わず情報の共有がなされ被害者が生まれる。
  4. 消滅しかけてもしぶとく復活する。
  5. 閉鎖空間から解放されても各個人に他大な影響を残す。

といった感じです。ほんとに病ですね。今このブログを読んでいる皆さんも感染者であることを忘れずに…

 

 さあ、最後になりますがこのブログリレーも終盤戦。明日の記事もぜひお楽しみに。

 ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。以上19のタックでした。皆様もポケモンのやりすぎにはご注意を!

 

執筆者: 19 タック